休むに似たり

意味のない考えをぐるぐると巡らせるADHD女の思考の記録

自信って

先日書いた「ジェンダーって」の記事(ジェンダーって - 休むに似たり)で気になっていた自信に関する突っ込んだ本を読んでみました。

こちらは2人の女性ジャーナリストがタイトルのような疑問を抱いて答えを追い求めていくドキュメンタリー形式で書かれていて、面白いです。前述の記事で書いた研究の内容も間接的にですが紹介されています。
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(好きな本は紙で読みたいタイプですが、際限なく物が増えていくのでKindle版でささっと読んでみました)

※なおこの本の中では便宜上統計的に平均的な女性の傾向を取り上げているけれど、実際にはもっと多様な女性がいることはよく承知している、そういう人たちについて逐一取り上げないことを容赦いただきたいと前置きされています。

結論としては「案ずるより生むが易し」というところでしょうか。

女性は「行動する前にいろんなことを心配しすぎてチャンスを逸している」一方「自信は行動からしか生まれない。過ぎた思考はどちらかというと有害」という話になります。そして「やらない」→「自信がない」→「やらない」→「自信がない」の悪循環に陥るわけです。いやあ、平均的な女性の傾向と前置きされているけれど、これはまさに私のことですね!!!

だから「やってみる」→「自信がつく」→「やってみる」→「自信がつく」の好循環に意識的に持っていこうという話です。

冒頭では、さまざまな著名人のインタビューから、どれほどの成功を収めた女性であっても不安から逃れることはできないということを提示します。揺らがない自信に満ちた女性がいるはずだという幻想を打ち砕く。
それって男性でもある程度そうなんじゃないか、と思うのですが「統計的に見て」女性の方が心配症で、行動する前にぐずぐず考えすぎてしまうという結果が出ている。
さらには「自信過剰な(客観的な評価より自己評価の方が高い)人の方が率直で真摯な自己評価をしてる人より社会的に成功している」という、若干がっかりするような結果も紹介される。この実験が面白くて、学生のグループに実在する(した)人物や出来事などに実在しない架空の人物や出来事などを織り交ぜたたくさんの固有名詞を「知っているものにチェックを付けて」と渡したところ、一般的な心理検査で自信過剰とされたグループの人は「実在しないものも含めとにかくたくさんチェックをつけまくる」のだそう。つまり、彼らの自信には何の根拠も客観性もない。そして何年か後にそういう人たちがどういう社会的地位にいたかを調べたら、実在しないものを正直に「知らない」と答えた人より明らかに成功していた、という…。2人の著者は本当にこの結果にがっかりしていました。

この「過剰なくらいの自信」を女性が持てないということが、男女の仕事のチャンスや評価に驚くほどの格差をもたらしている。自分から「やってみます」と切り出せないこと、自分の意見をやんわりと疑問形で言い断言できないこと、さらに「失敗を自分のせいだと思うこと」etc...

この性差がどこから来るのか、生物学的な研究でも示唆されているといいます。最新の脳科学研究結果を見ると「女性の方がいろいろなことを総合的に考え、他人の考えをくみ取る能力、危険を予測する能力が高くなりやすいために『考えすぎてしまう』から」となるらしいです。協調性と慎重さという美点と引き換えに、自己顕示欲と果敢さは持ちにくいと説明されています。

ただしデメリットは後天的な訓練で変えることができるといいます。特に「不安を感じやすい遺伝子を持つ子ザルを育児能力が高いメスザルに預けると、協調的でリーダーシップの高い立派なボスザルに成長する」という研究結果を紹介しているのが面白い。不安の強さとは感受性の豊かさと表裏一体で、情緒の安定した楽観的な性格の子より教育のポジティブな効果を吸収しやすいということらしいです。
さらに、子供時代親に恵まれなかったとしても、大人になってからでもポジティブな思考を身に着けるのに遅すぎることはないと続きます。いわゆる「認知行動療法」というやつですね。具体的には「漠然と恐怖を感じていることについて、客観的な事実を学び、実際にやってみて、何も悪いことは起こらないということを学習する」。これが「自信は行動からしか生まれない」という結論の肝かもしれません。

ただ、この本は欧米社会を中心に書かれた本なんですね。

日本では「非合理」「有害」と言われがちな「根性論」が「科学的に見て合理性がある」と紹介されているのです。つまり、一度の失敗にへこたれずに何度でも挑戦することが。(本当に「日本にはKonjoという言葉がある」と紹介されている)
日本での算数の授業で、上手に立方体の図を描けない子をあえて黒板の前に連れてきて、周囲の子どもたちの「違う」というコメントを聞きながら何度も描きなおさせて、ちゃんと描けたときにクラスのみんなから祝福の拍手をもらう、という様子を「好ましい姿」として紹介しています。最初この様子を見たアメリカの研究者は「子供に恥をかかせるようなことをして大丈夫なのか」と非常に心配したのですが、やり遂げて誇らしげな子供の姿を見て「これこそ本物の自信だ」と理解したのです。

自分の能力は「はぐくむもの」であって「生まれながらに完璧だ」と信じることは困難な状況を乗り越えるためには何の足しにもならなかった、と「現代アメリカ社会数十年来の、自己肯定感を高めるため何でも褒め失敗をさせない教育から得た教訓」を述べています。そして、アジア系移民の忍耐強さが成功を生み出すことに気付いた。(余談ですが、これはフィギュアスケートの世界に端的にあらわれていた時期があります。クリスティ・ヤマグチの時代はそうでもなかったですが、ミシェル・クワン以降北米ではアジア系のスケーターの活躍が本当に目立っていました。この理由を「フィギュアスケートには身体能力より反復練習の方が必要で、アジア人の親は意図的に子供にそういうことを学ばせようとするから」と指摘する声は多かったのです。)

アメリカ社会というのはなんとなく自信に満ちていて行動的で失敗に寛容というイメージがありましたが、どうやら男性にとってはそうであっても女性にとってはそうではないようなのです。女性は失敗を常に恐れ、後悔と不安で頭をいっぱいにしていて、自分の能力を疑っている。成功を渇望する成果主義社会ゆえなのかもしれない。そんな社会にとっては「才能の有無に関係なくとにかく努力して何かを身に着けること自体が尊い」という考え方が新鮮で、示唆に富んだものになりうるわけですね。

もちろん、日本人の幸福度の低さを鑑みれば、それだけでうまくいくわけがないのは明白です。

この本には他の要素もたくさん紹介されています。特に「他人(特に男性優位の分野にあっては男性)と同じ方法にこだわらない」「既存の価値観で認められようと思う必要はない」といったあたりが日本の女性に必要な感覚かもしれない。
先に紹介した「自信過剰な成功者」の例から、著者たちは「自信を獲得するには馬鹿にならなければならないのか?」という気持ちになるわけです。他人の話をさえぎってまで自分の意見を言おうとする男性の押しの強さに嫌悪感を感じ「ああはなりたくない」とも思っていますが、自信を持って仕事をするにはああできなければならないのだろうか、と悩みます。
そこで、最初にインタビューした「成功したが自信を持てない女性たち」のことを再度紹介する。常に自信の不足や不安と戦いながらも、彼女らは協調的で融和的な性質を失わず、逆に強みとして成功してきた。それを実現できたことこそが、彼女らなりの自信のあり方なのだと結論付けます。ちょっとてらいすぎな気もしますが、読み物として面白い構成になっていますね。

また、ある程度失敗や批判に対して「ロジカルに処理する」マインドセットが必要だろうと思います。失敗を再挑戦に必要な準備につなげる組み立てというか。根性論が批判されやすいのは「あまりにも考えなさすぎる」点だと思います。何の進歩も実感できないまま何度も失敗を繰り返せば、やっぱりくじけます。失敗の中に進歩や次回へのヒントを発見することが必要なのでしょう。

ああそれと、この本では最初から繰り返されていることですが「完璧主義を捨てる」ことも大切ですね。成長や進歩についても「完璧な成長」を果たすまで努力し続けるということは害悪たりうるのでしょう。

 

まあ、こういう本を読んでいても、「私自身は社会的成功がほしいわけじゃないからなぁ」と思ったりもします。私自身はあんまり自己啓発を求めてはいないんですよね。単に知的な興味があるだけなんです。
また、自分は報酬系のバグがあるADHDと診断された人間ですから「達成感による意欲の学習」が平均的な人間よりうまく身につかない傾向はある気がします。
(どういうことかを言葉で説明してもうまく伝わるかわからないのですが、「のだめカンタービレ」というマンガで、のだめが「弾きたい」と激しく渇望したラフマニノフのピアノ協奏曲をあこがれの千秋先輩のピアノ伴奏で1回だけ弾いたらすっかり満足して「次はオーケストラで」と考えていた千秋を拍子抜けさせた様子と、その後千秋の指揮するオーケストラの演奏会でオーボエ協奏曲を成功させる真面目な黒木君がのだめに「楽しいだけじゃダメなんですか、うまくならなきゃダメなんですか」と問われ「もっとうまくなればもっと楽しくなるんじゃないかと思って」と答えたとき、のだめが虚を突かれ愕然としている様子が描かれます。のだめは一貫してちょっとステレオタイプ気味の『馬鹿と天才は紙一重』なADHD女子として描かれていますが、この部分が最も報酬系に問題を抱えるADHDの本質的弱点を描いているところだと感じます)

それでも不安なことについて「こんなの大したことない」と感じられる経験がいかに大切かというのはわかります。

やる気を奮い立たせることじゃなくて、自分の可能性を閉ざさないということについてだったら、なんというか、多少生かせるんじゃないかなと思える本でした。