休むに似たり

意味のない考えをぐるぐると巡らせるADHD女の思考の記録

自分のステータスをもう少し

私のことについてちょっといろいろ語っておきたいと思います。

仕事はしています。

危機的状況を経て、昇給なしのぎりぎりの低空飛行ですが簡単に首を切られないところなのをいいことにのらりくらりとやっています。周りは迷惑かもしれませんが、もう開き直ることにしました。

ただまあ、この先は正直どうなるかわかりません。

国立大学の理系を中退。しばらくニートで、その後バイトしたりしてましたが、親が将来をあまりに心配するものでしぶしぶ就職。転職なんて考えただけでめんどくさいので今の職場にしがみついています。

 

子どものころ、勉強だけはよくできました。運動音痴ではなかったですが、持久走だけは大嫌いでした。といっても、田舎ののんきな学校だったので球技などで足を引っ張るやつがいじめられるなどという光景は見たこともありません。なので、そういう厳しい環境にいたら私も運動音痴の烙印を押されていた可能性はあったのかもしれない。

小学生の頃は、冗談の通じない子といわれ、からかわれることがあった。同級生の中でもすぐに泣くと言われていた。ブチ切れると突飛な行動をとることがあった(自分の中では理屈が通っているつもりだったんだけど)。このころからずっと忘れ物をよくした。宿題も学校に行く直前にやったりしていた。

中学生の頃はオタクの道を突き進んだ。好きな漫画やアニメのことなら友達と盛り上がれた。テレビのお笑い番組は家庭の方針であまり見られなかったので話題についていけなかったけれど、本や漫画なら親に隠れて読めた。友達と常に一緒にいるのが好きでなく、趣味を共有するときだけ友達と行動した。進研ゼミだの塾だの、親が強く勧めるのでやっていて、嫌ではないけれど必要を感じておらず、自分のためにやっている感覚は皆無だった。宿題は朝の始業前に学校で解いていた始末。それでも学校の成績だけはとにかくよかったので、変な奴とは思われていたろうけど、面と向かって馬鹿にするクラスメイトはいなくなった。

高校は通学時間1時間半の進学校に進んだ。父親が「どうせならできるだけいい学校に行ったら」と強く勧め、私はなんとなく嫌だなぁと思うくらいでそれに反論できるだけの何かを持ち合わせていなかった。「よその子は一生懸命勉強している。お前ももっと努力しろ」が口癖の父親だった。私は、勉強しなかったわけではないがお世辞にも「一生懸命」ではなかった。毎日の予習や宿題、小テストの量が多く、それら「やれと言われたこと」を授業直前までになんとか間に合わせる以上のことはしなかったが、残念なことに相対的な順位を維持するにはそれで十分だった。「努力できること」を見つける面倒を回避して「努力してるふり」を覚えてしまった。目標も、ないのにあるふりをした。自分にはやりたいことなんてきっと何一つやり遂げられないと漠然と確信していた。国語の教科書に登場した中島敦の「山月記」は身につまされた。自分が李徴と同じようになる未来なら生々しく思い描くことができたが「私は彼と同じだしそれを回避するすべもわからない」と言葉にする勇気はなかったのだ。

とりあえず小さいころに興味があったことを勉強することにして大学を選んだ。父親に「サボってる」と思われないくらいの目標で。落ちたら落ちたでいいやと心のどこかで思っていた一方、これで浪人してしまったら親に何を言われるんだろうとも思っていた。自分の人生なのに真剣みは全くなかったと思う。それはまあ、今もそうなのですが…。ともかくも運よく合格して一人暮らしを始めると、遊ぶことが楽しくなって自堕落まっしぐら、そのときやりたいことだけにひたすら打ち込み、勉強はさっぱりわからなくなり、どうにもならなくなって中退。

その後しばらく引きこもりからの回復を目指す施設のようなとこなどにいて「もう金が無理」と親に言われたのでそこを出て、免許をとったり、適当にアルバイトをして、その後数年たってようやく就職した。全部親が「いいかげんにしろ」と言ったからだった。両親に私を理解してもらえると思ったことは一度もないけれど、それでも私の人生を一番真剣に考えているのも間違いなく両親だろう。少なくとも私より、よほど真剣に。そのことは本当に申し訳なく思っている。

その後仕事で行き詰まり精神科にかかったというわけです。

 

診断を受けてから「こういう仕事ならできそうというのが正直わかりません」と言ったら「自分の得手不得手を調べてみましょうか」とWAISという、いわゆる知能検査を受けさせてもらえました。診断前に受ける人が多いと思うんですが、私が受診した先生は生活の中でできないことをより重視しているようです。

結果は、ふわっと90%信頼区間を書き出すと

全検査IQ 高い~特に高い
言語性IQ 特に高い~特に高い
動作性IQ 平均~高い
言語理解 特に高い~特に高い
知覚統合 平均の上~特に高い
作動記憶 平均の上~高い
処理速度 境界線~平均の下

(境界線というのは、障害レベルか健常レベルかの瀬戸際という意味)

このうえなくはっきりと弱点がわかりました。

よくよく考えれば幼児期には姉に「あんたは反射神経が鈍いから気を付けるんだよ」と言われ、中学生の時は「あんたには格ゲーの才能がない」と言われ、大学では友人に「しゃべるのが遅いね」と言われ、自動車学校の適性検査では「認知~判断~操作の過程に普通より時間がかかるようです。でも自分の特性を理解し慌てないで運転できるよう意識していれば大丈夫です」みたいな結果をもらっていました。

心理士さんは「些細なことに気をとられすぎ、効率よく処理できていないのでは」との考察をつけていました。私はこれを「不要なバックグラウンドプログラムや通知機能が多すぎて動作が重いPC状態」と心の中で名付けました。特に高い分野の検査態度にも「言い淀む様子」とコメントがついています。しゃべるのが遅いんですよー。

※なお、ふわっと信頼区間のみ書いたのは、検査の性質上数字自体にそこまでの意味はないと思うのに、数字のインパクトがでかすぎて、そこに過剰にとらわれる方が多いと感じるからです。

しかし、今のところ「特に高い」能力を生かす方法はこれといって思い当たりません。いつだって読んだり聞いたりした話について頭の中でぐるぐると考えているだけ。それはまさに「休むに似た」状態だと思えてならないのです。

行動に移すエンジンがほしい。あとすぐストールしないエンジンがほしい。