休むに似たり

意味のない考えをぐるぐると巡らせるADHD女の思考の記録

うんちくおじさんマインド

よく職場に定年退職後のおじさんたちが仕事というわけでもなく自分の趣味の作品だとか評論的なものの情報提供をしにやってきます。

前の部署の上司は付き合いのいい人で、そういう人たちの何か「熱い思い」のようなものを面白がって時間をとって聞いてあげるところがありました。今の部署は女性が多いんですが、聞きはするもののどこか「ハイハイ」という雰囲気が漂っています。

(まあ男だと全然興味なさげであからさまに「今忙しいんで」という態度をとって追い返す人の方が多く、前の上司が珍しい人だったんですが)

田舎なので、その年代のおじさんはインターネットというものをやりません。

そういう人たちが自分を表現するとなると、自らいろいろなところを訪ね歩いて宣伝したり、新聞やら雑誌に投稿したり、地元の施設の発表や展示にねじ込んできたりという押し売り的な形になりがちなのでしょう。
悪いことにそういう人は田舎では希少種なので、対等に議論できる、いわば「冷静に突っ込んだり批判できる人がいない」状況のまま異様な存在感を持ってしまい、大御所になってしまわれる。

(そして厚かましく「自分の活動を知人がインターネットに紹介したと言っていたので、検索してそのページを印刷してほしい」などと要求してこられる)

もう少し若い世代の人は、ネットに発表の場を持っているのでそこまで押しが強くないような気がします。それがいいのか悪いのかというところはありますけど。逆に、押しの強いおじさんの話を面白がって聞く人ってネットで趣味のコミュニティに参加してない人が多いかもしれません。

私も、ネットで誰にともなく壁打ちをしている方が気楽で、リアルの知人に自分の「思い」を語るのは本当に心底苦手ですが、自分の内にこういうおじさんと同じ「教えたがりマインド」ともいうべきものを持っているなあと思うことがちょいちょいあります。教えたがりというか、くどいんだろうな。「これってこうなんだってよ」というだけで終われない。「なぜならば…」という話がしたくなってしまう。

でも私自身おじさんたちの話を聞いていると「勘弁してくれ」と思ってしまうこともあり、正直ジレンマを感じます。リアルでは出したくないんだよなぁ。