休むに似たり

意味のない考えをぐるぐると巡らせるADHD女の思考の記録

怠惰の罪

とりあえず、ブログの体をなす程度に記事を書けるうちに書こうかと思います。

レイアウトの変更とか見やすく見出しつけたりとかは、そのうち気が向いたらやるかもしれません。

 

最初の2つの記事でもさんざん「めんどくさい」という言葉が出てきましたが、とにもかくにもめんどくさがりです。

無意識のうちにはいろいろな悪徳がいろいろと渦巻いているのでしょうが、とりあえず私がクズであることを決定づける、はっきり自覚のある最大の罪は「怠惰の罪」ということになります。

「めんどくさい」という理由で、欲しいものを簡単にあきらめます。

「めんどくさい」という理由で、恋愛に興味がありません。

「めんどくさい」という理由で、他人に張り合う気が起きません。

「めんどくさい」という理由で、飯を食わないことがあります。

「めんどくさい」という理由で、腹が立ったことをなかったことにします。

あーでも、傲慢はありますかね。我ながら「何様だ」「どこから目線だ」という考えが頭をめぐることはしょっちゅうあります。
他者をちゃんと理解はできないにしても、いろいろ努力して知ろうとすることは一種の思いやりだろうと思うのですが、一方的な視点から立ち位置を変えずに眺めることは、多くの人から見たら傲慢に見えるだろうと思います。私はこの「思いやる努力」がめんどくさい。
根っこは「めんどくさい」なのです。「めんどくさい」ですべきことをやらずに済ましている態度は、常識人の目に非常に傲慢に映るだろうと思います。傲慢の罪は、本人が意識しづらい面がありますね。

 

しかし、私は処理速度の低いどんくさい人間ですが、めんどくさがりだからどんくさくなったのか、どんくさいからめんどくさがりになったのか、どっちや、どっちなんやー!!(鶴瓶師匠)

と、たまに思います。

ADHDの方には多動・衝動優勢と不注意優勢という2タイプがいますが、ちらちらとブログなど覗いていますと、前者の人はもっとアクティブだし、懲りずにいろんなことをやりはじめることができるように思います。
私は問題が起きたらめんどくさいので黙ってじっとしていることはわりと得意なのですが、その分何かをやりはじめるのには非常に抵抗があるのです。できるだけ、やらずに済ませたい。でもそれじゃあつまらないなという気持ちもあります。実際、大学生の頃までは、もう少しやりたいことに対して積極的だったような気もします。

この精神の鈍重さ、果たして本当にADHDなのだろうかという気持ちになることも、ときどきあります。

 

私の「ダメさ」の核であるこの性質は、今後もちょこちょこ話題にすることがあると思うので、カテゴリにしておこうと思います。