休むに似たり

意味のない考えをぐるぐると巡らせるADHD女の思考の記録

手続きはめんどくさくて嫌いだけど「面倒な手続きは不要です!」はうさんくさいよね

時代の変化についていくのがつらいです。

新しいことをやろうとするとき、そこに付随する「手続き」というのが心底つらい。窓口の方はみな親切で「わからない」という悩みにも丁寧に応じてくれます。それはわかっているのだけれど、こっちにその説明を最後まで聞く根性がない。あまりにもいろんなことを想定しすぎているので「とりあえずこれだけ使いたいんですけど、そんなことまで把握しておかないとダメなのですか」となってくる。
相手の方は「大丈夫ですよ。とりあえず今はこれだけ確認いただければいいですので、他のことは必要があったら相談くださいね」という感じで答えてくれるわけですが、「不用意に必要を生じさせてしまったらどうしよう」という不安がもくもくと湧いてきて、新しいことを始めるわくわく感より暗澹たる気持ちの方が強くなってくる。

その一方で「ネットで簡単に申込できます!」というのも、絶対に罠があると勘ぐってしまう。世の中がそんなに簡単なはずはないのです。安易に何かやっても面倒なことというのは後から必ずやってくるのです。

 

私がこんな風なのは「自分に対して信用がない」からなのだろうなと思います。

仕事とか商売とか取引というのは何事も「信用」で成り立っています。ただ漠然とした信用では扱い難いので、もっと簡便で広範に利用できる形態として長らく「通貨」というものが使用されていましたが、やはり高度な、あるいは高額な取引には「信用」が欠かせません。「私はあなたの仕事に対価を払いますよ」「私は対価に見合う仕事をしますよ」「私は借りたものはきちんと利子付けて返しますよ」「私は預ったものをなくしたりしませんよ」「私は最後まで契約を履行しますよ」というのを相手に受け入れてもらうことが「信用」です。
高額な対価を分割払いで払い続けるとうっかり忘れてしまうことがあったりローン返済が滞ったり、他人の物をなくしたり、仕事がちゃんとしていなかったり、長期の仕事が完遂できなかったりする人は、受け入れてもらえる「信用」がない、ということになる。私は私を信用していないので、特に長期にわたる契約や後払いというのには気後れしてしまいます。その場で現金決済というのが一番気楽。
ネットでの取引もプリペイド電子マネーをコンビニで買ってきてちまちまやるのが一番気楽で、そうでなければコンビニで支払いが終わったら商品が提供されるやつ。「後から払うもの」は極力使わないし、先払いでは不安だとちょっとでも感じるような取引は絶対にしない。私が払えるごくわずかな「信用」を超える取引はしたくない。まして相手の信用を自分の目で見極めるなんてできない。

ADHDの人々がこの社会で生きづらいのは人間社会が基本的に信用社会であり、さらには時代が進むにつれ何重にも「価値の変換」を施した「高度な」信用社会になってきているからなのかなぁという気がします。その場その場の取引だけではどうしても済まない。周囲の持つ欲望に鈍感でいられるならそれでもいいし、ASD傾向が混ざってる人ならそういう人もいるのでしょうが、たいがいは普通に「いいな、うらやましいな」と思ってしまう。また、社会のニーズが変化すればメーカー側も古いものは提供しなくなってしまい、否応なしに新しいものの消費を強いられるようになることもあるわけです。

さすがに、人間社会の外では生きていけない以上「信用がなくてもいいじゃないか」とはいえない。

いかに自分の制御の及ぶ範囲で信用を構築し守っていくか。大人というのはある意味身の丈に合った「信用」をきちんと構築できている人なのでしょうね。

あーあ、大人になれないなぁ。